心理カウンセリングを保険適用にしない方が良い理由

  • 2020.09.14 Monday
  • 13:55

心理カウンセリングは保険適用にすべきではない、と前回の記事で述べました

 

え〜保険きかないの?と思われる方も多いと思います

カウンセリングを医療行為として捉えられていることが多いようです

 

カウンセリングは医療行為ではありません

我々は「治す」という考え方をしませんし、

カウンセリングにやって来る人を「患者」ではなく「クライエント」と呼びます

 

医療では、患者は受身的です

「頭が痛いんです」「眠れなくて困っています」と言って受診すれば

あとは医師が必要な処方や処置を行ってくれます

 

もしカウンセリングが保険適用になったら、

クライエントは「さあ治してくれ」と受身的になります

そして改善が見られないと「何で治せないんだ」とこちらの責任にしてしまいます

自分の問題を自分で考えず、心理士に丸投げしてしまう心的機制が働きます

そうすると、クライエントが自らの力でたくましく生きていけるように支援するという

カウンセリング本来の目的から大きく逸脱するどころか

かえって逆効果になります

 

利用しやすさでいったら保険適用の方が良いのでしょうが

本来あったはずの「改善したい」というクライエントの主体性まで台無しにしてしまう危険性から

私は保険適用にすべきではないと考えます

精神科、心療内科との違い

  • 2020.09.08 Tuesday
  • 17:51

精神科、心療内科=カウンセリング ではありません

病院やクリニックに受診したからといってカウンセリングをしてもらえるわけではありません

もちろん臨床心理士・公認心理師が勤務している医療機関ではカウンセリングも行われていますが

あくまでも主治医が必要だと判断しなければカウンセリングを受けることはできません

「カウンセリングは保険適用外」という医療機関も多いため

それなりに費用が発生します

保険適用で受けられたとしても、回数限定とか、短時間とか、認知行動療法限定とか、

いろいろ条件があります

 

医療機関というのは症状の改善を図っていくところです

したがって医師は、症状とそれに合った薬の正しい判断を短い時間の中で行わなければならないため

一人一人の話をじっくり聞いている時間もないし

それは薬を処方するという役割とはずれています

「いつも同じ話!5分で診察が終わる!」と不満を持つ人がよくいますが

個人的な相性は別として、医師は医師としての役割を全うしているだけです

現在の診療に不満を持っている人は、自分がどんなニーズを持っているのかを今一度考えてみると良いでしょう

話を聞いてほしい、自分の自己探求に付き合ってほしいというニーズがあるのなら

カウンセリングを検討してみてください

 

反対に、症状の改善を希望するからこそカウンセリングに不満を持つ人もいます

「私はうつ病ですか?」と聞かれても、

「うつ病の可能性が考えられるので、精神科に受診することをお勧めします」としか答えられません

診断も薬の処方も、我々臨床心理士にはできません

症状の改善は確かに最終目的ではありますが

その心理的、社会的背景を掘り下げて自己理解を深めることがカウンセリングの主軸です

これは医療機関での治療と比べて、本人の能動性や目的意識が必要です

時間も労力もかかるため、万人受けするものではありません

そして保険がきかないため、経済的に余裕がない人がカウンセリングを利用するのはなかなか難しいというのが実情です

ですが、カウンセリングを保険適用にすべきだとは思いません

この理由についてはまた別の記事で述べたいと思います

 

精神科に受診してもカウンセリングを勧められる場合もあるし

カウンセリングに来た人に対して「カウンセリングよりも精神科へ行ってください」と伝えることもあります

精神科での診療とカウンセリングを並行していくこともあります

本人のニーズと、それぞれが提供できることと、治療目標を明確にし、共有することが大事です

破壊性から引き戻る

  • 2020.08.09 Sunday
  • 16:31

映画『風の谷のナウシカ』を観ました

 

 

言わずと知れた超名作

劇場で観るのは初めてだったのですが

大感激しました

 

人は、激しい憎しみや恐怖で心がいっぱいになり冷静さを失うときと

感謝とか思いやりとか、自分のせいで相手を傷つけてしまったという罪悪感を取り戻すときの両方の間を

行ったり来たりしています

専門的には前者を妄想分裂ポジション、後者を抑うつポジションと呼びますが

健康度が高い人は、一時的に前者に傾くことはあっても

ちゃんと後者に戻ってくることができます

この二つのポジションの行ったり来たりが、映画の随所に見て取れます

 

大好きなのが、ナウシカとテトが出会うシーン

自分が脅かされるという恐怖と憎しみを、テトは激しくナウシカにぶちまけます

それに対してナウシカは、噛みつかれた痛みに耐えながら、変わらない態度であり続けます

すると、「攻撃しても報復されない」ことを体験したテトは

たった今、自分が噛みついたナウシカの手を、今度は優しくなめ始めます

自分が傷つけてしまったという罪悪感とともに、その傷を癒すように

そして生まれる信頼関係

ナウシカが「怯えているだけなんだよね」「ほらね、怖くない」とテトに伝え続ける姿なんて

まるで心理療法の治療者のようです

 

父親を殺されたナウシカが怒り狂い、トルメキア兵たちを殺しまくるシーン

ナウシカはそもそも「殺してはならない」という信念の持ち主

そんな彼女が怒りで我を忘れるのはこのときだけです

一方で、彼女は自分の中にある暴力性を恐れてもいます

優しさと同居する激しい攻撃性

その間を揺れ動く彼女の姿は、あまりにも生々しく人間らしい

 

怒りで我を忘れるといえば、王蟲です

眼を赤くした王蟲たちもまた、凄まじい破壊性をもって風の谷に突進してきますが

ナウシカの心に触れると冷静さを取り戻し、自分たちの住処に帰っていきます

妄想分裂ポジションから抑うつポジションに引き戻ったわけです

 

憎しみに駆り立てられるのは『もののけ姫』のタタリ神も同じですが

タタリ神の場合は、憎しみがやがて己の身をも滅ぼします

相手も自分も、森もタタラ場も滅びます

死と破滅を経た再生の物語です

対して『風の谷のナウシカ』は、破滅ではない

慈しみと優しさで、王蟲たちも、風の谷も、ナウシカ自身も救われ、生き延びます

 

憎しみに心を奪われてしまっている状態から、いかに引き戻るか、引き戻すか

タタリ神のように心が滅んでしまう前に

治療者としても、一人の人間としても、たくさんのヒントが散りばめられている

素晴らしい作品です

親密になることへの恐れ

  • 2020.07.03 Friday
  • 18:52

人と人が出会い、親密になり、信頼や愛情が生まれていく

これが通常の対人関係の形成過程ですが

せっかく関係ができてきたのに、自らその関係を台無しにしてしまう人たちがいます

相手と親密になることに、通常は喜びがあるはずですが

喜びではなく不安や恐れを感じる人たちがいます

 

 

仝捨てられ不安

大切な人から愛情が得られない、捨てられるという不安から、なりふり構わずしがみついたり、

反対に自ら関係を壊したり、あらゆる行動化で訴えたりします

恋人のことが大好きなのに、いつも自分から別れを選んでしまう…というパターンの背景に

この見捨てられ不安が存在しているかも知れません

 

迫害不安

自分の中にある悲しみとか劣等感とか憎しみとか、

そうした「悪いもの」を自分の中に抱えておけず外側に排出し、相手に投影します

そして相手が自分に攻撃してくるのだと体験し、自分が壊滅していくという不安に苦しみます

人の言動をものすごく被害的に受け取り、過剰に怒ったり怯えたりする人たちは

「悪いもの」を自分の中にとどめておく力が脆弱であるため、相手のせいにするのです

 

A∨

「悪いもの」への攻撃性である迫害不安に対し「良いもの」こそ壊したくなるという心性を、

クラインは羨望と呼びました

自分にとって良いもの、好きな人、素晴らしいことこそ壊したくなるという乳児の世界は

死の本能の究極的な表れです

美しいものを汚したくなるとか、相手のことが好きだからこそ憎いとか、

最悪の場合、殺してしまうなんて事件も時々起こりますが

この羨望が働いているのかも知れません

 

 

´↓が優勢の人たちは、カウンセリングにおいても治療者との関係を維持するのが難しく

残念ながら中断となることも少なくありません

ただ、これらの心性は病気の人に限った話ではなくて、誰しもが心の中に持っている不安や本能です

どんなに健康な人でも疑心暗鬼になったり、好きな人がものすごく憎くなったりすることはあります

肝心なことは、そうした弱さや破壊性をちゃんと自分のものとして見つめる営みを通して

乗り越える力をつけていくことです

それはやはり一人で部屋にこもってできることではありません

カウンセリングは治療者と親密になることが目的ではなくて

その関係性を通して生じてくる期待や不満や恐怖に目を向け

それは自分にとって一体どんな意味を持つのかということを考えることです

対人関係でいつも同じようなパターンにはまり込んでしまうとか

不安や不満を払拭できずにいると感じるなら

人生のどこかのタイミングで自分という現実に目を向ける意義はあると思います

相互的なもの

  • 2020.06.10 Wednesday
  • 17:42

映画『英国王のスピーチ』を観ました

 

 

どんなに患者が抵抗しても、治療構造は一切妥協しないところ

それでいてユーモアを失わないところは、さすが西洋だなと思いました

日本人同士だとなかなか難しい

治療者と患者の関係はそう単純なものではなくて

半信半疑、信頼の萌芽、怒り、破局、依存、再びの信頼、、、刻々と変化していくもの

映画では吃音の治療でしたが、それはまさに心理療法

 

スピーチのシーンは、思わずこちらの全身が強張ってしまうほど緊張感溢れるものでした

目の前で自分をサポートしてくれていたライオネルの姿は

やがてジョージ6世の心の中に内在化され、自分を支えてくれるようになります

 

自分への自信というものは、誰かに与えてもらうものではないし

かといって自分の努力だけで獲得できるものでもない気がします

上記のように、治療者との間の交流が展開していくこと

そして、国民が自分の言葉を待ち望んでいてくれること

自分はそれに応えること

そうした相互的なやりとりの中で、国王としての威厳が滲んでくるジョージ6世の姿は

圧巻でした

 

 

スピーチが苦手な人

幼い頃、何かを矯正されたり禁止されたり強いられたりした痛みがどこかに残っている人

ぜひご覧ください

マスクに関する考察

  • 2020.05.26 Tuesday
  • 15:59

マスクが手放せない状況です

まだ5月ですが、マスクを着けていると熱がこもって暑いです…

熱中症もコロナウイルス同様、命に関わることなので

これからの季節は特に注意が必要です

 

マスクを煩わしく思っている人も多いと思いますが

以前勤めていた精神科病院の患者さんの中に

真夏でも、いつでもどこでも必ずマスクを着けているという人が結構いました

対人恐怖の人が、他者の視線から身を守る機能

自分の中の負の感情が外部に漏れないようにする機能

乳幼児の移行対象のような、安全で安らぎを与える機能など

ウイルスをブロックするだけでなく、心理的な防衛としての役割も果たす

格好のアイテムとなっているようです

 

マスクを着けていると、お互いの表情が見えません

会話はできても、言葉だけでは伝わらない感情の部分が伝わりづらいのです

マスクは今、命を守るために必要なもの

ですが、自分の気持ちが相手に伝わりにくく、相手の気持ちが分かりにくいこの状況に

あまり慣れすぎないようにしたいものです

ちょっとの努力

  • 2020.05.03 Sunday
  • 17:48

人気芸人さんがラジオで不適切発言をしたことを謝罪しました

貧困をはじめ、辛い境遇にある人たちへの理解と配慮に欠けた発言は

ひとえに彼の想像力不足によるもので、大いに反省すべきですが

こういうことってよくあることだと思います

あるネタで笑う人たちがいる一方で、そのネタで傷つく人たちがいる

これは芸人さんに限らず、私たち一人一人が考えるべきことです

「自分はその立場じゃないから分からない」じゃなくて

「もしその立場だったらどう思うか」という

分かろう、分かろうとする姿勢

それがないと、人と人との相互理解は生まれないし

人が人を助けることはできないのです

誰かの痛みを想像するより、誰かを笑う方が楽だし楽しいから

意識していないとどんどん無感覚になっていきます

笑ってはいけないわけではなくて、笑ったらちょっと考えてみる

一人一人の「ちょっと」の努力で世界は変わると思います

こころの不調を最小限にするために

  • 2020.04.05 Sunday
  • 19:05

コロナ疲れ、コロナうつが深刻になってきました

 

今後の見通しが立たない状況に、誰しもが不安の真っ只中だと思います

そしてこの過度なストレス状況が続いていることで

落ち込みや意欲減退、希死念慮などのうつ症状を訴える人が増えています

 

世界的な非常事態、ある程度の心理的不調が生じるのは避けられないかも知れません

それでも、深刻な精神疾患に陥らないように

可能なところは自分で心身のコントロールをすることが大事です

 

 

1. 他人に怒るのではなく、過敏になっている自分のこころを意識する

人は多くの場合、自分の中にある不安を解消するため、悪者探しをしがちです

対応の遅い政府、在宅勤務をさせてくれない会社、マスクをつけずに堂々とお喋りしている人、、

無意識に怒りの矛先を探します

イライラするのは非常事態に対する正常な反応です

ですが、他人や環境に目を向けてもイライラは増すばかりです

「自分はいま過敏になっているな」と、自分自身の不調として自覚しましょう

冷静になるには自分のこころを観察できることが大事です

 

2. コロナ関連のニュースを意識的にシャットアウト

ネガティブなニュースを目にすることによって気分がどんどん沈んでしまうのであれば

思い切って「見ない」という選択をしましょう

意識的にテレビを消す、ニュース以外のチャンネルに替える、

スマホで記事を読むのは1日1回にするなど、自分でコントロールする努力をしましょう

 

3. 体や手を動かす、身体感覚を刺激する

不安が強いときや落ち込んでいるときはどうしても思考優位になります

運動したり作業したり、頭以外の部分を動かすことによって気分も落ち着いてきます

ストレッチ、マッサージ、深呼吸などで体の方を意識する時間を作り

料理や掃除など、意識的に手を動かすようにしましょう

また入浴やアロマ、音楽などで五感を刺激し、思考優位になりすぎないようにしましょう

 

 

上記の対処法ではどうにもならないという場合は、専門的な相談機関を利用しましょう

SATNADIカウンセリングルームは、担当者の手洗い・手指消毒・検温、

ソファやドアノブ等の消毒、換気などを徹底した上で、通常通り開室しています

当面の間は体調不良による直前のキャンセルにも柔軟に対応しております

その他、ご質問などありましたらお気軽にお問い合わせください

貧と富

  • 2020.03.24 Tuesday
  • 12:19

映画『パラサイト 半地下の家族』を観ました

 

 

例えば貧しさや泥臭さの中にある一瞬の煌めき、みたいな

おなじみの演出は一切なく

裕福な人間たちへの徹底的な揶揄が続き

貧しい一家の意地汚さには容赦がない

 

そして、富める者の無感覚さが見事に表現されていました

 

自分は、自分より貧しい人をどんな眼で見ているか

蔑まれる者の痛みに思いを馳せたことがあるか

尊敬や信頼は、貧富差の前には無力か

 

豊かな生活を目指して毎日を頑張っている人

ぜひご覧ください

「カウンセリング 意味ない」

  • 2020.03.15 Sunday
  • 15:38

グーグルサーチコンソールで検索キーワードを見てみると

「カウンセリング 意味ない」で検索されていることがあります

検索している人を推測すると

仝什潺ウンセリングを受けているが、不満を感じている人

▲ウンセリングを受けたいと思っているが、不安を感じている人

が考えられます

 

カウンセリングは心の営みなので

自分の心が意味を見出すことができたなら、それは真実だし

「意味ない」と思うなら、それもまた正しい心の声です

だから別に検索なんてしなくていいのです

堂々と「意味ない」と思っていればいいのです

それではなぜ検索するのか

 

,凌佑蓮▲ウンセリングへの不満をセラピストに伝えることをせず

自分と同じように感じている、いわば仲間のような存在を探し

「意味ない」と感じている自分の感覚の証拠集めをしているのだと思います

本来なら不満を含め不快な感情をもセラピストと共有し

またカウンセリングの材料として取り扱っていくことで

自分の心のありようを知り、深めていくことができます

その苦痛に耐えられず回避しようとする行動化の結果

「意味ない」というこき下ろしの言葉での検索に至っているのだと思います

そのままの状態で続けていても、中断になるか、

深みのない表面的なやりとりが続くかのいずれかであり

カウンセリングの成果としてはあまり良いものは期待できません

「意味ない」という感覚の中にたくさんのヒントやチャンスがあるので

せっかくカウンセリングを受けているなら、それをセラピストと共有しましょう

 

△凌佑蓮何らかの助けを求めてカウンセリングを希望しているにもかかわらず

その一歩を踏み出すことへの恐れから、そうしなくてもいいように

,汎韻犬任笋呂蠑攀鮟犬瓩鬚靴討い襪里世隼廚い泙

人は良くなりたいと願う一方で

変化することを恐れ、心が抵抗します

「やっぱりカウンセリングって意味ないんだ」と自分を納得させることで

自分が変わる努力をすることを放棄してしまっています

 

自分の住んでいる地域にどんな相談機関があるかとか

ここのカウンセラーはどんな人かとか

情報収集のためにインターネットで検索するのはもちろん良いのですが

カウンセリングは意味があるとかないとか

個人の心が決めるしかないことをインターネットで調べて答えを探そうとするのは

まさに「意味ない」行為です

 

ただ、私たち臨床心理士はカウンセリングがとても意味のあることだと思うから

それを仕事にしているということと

自分の受けているカウンセリングに意味があると思うから続けている人たちがいるということ

これだけは確かなことです