言葉を失うとき

  • 2024.02.24 Saturday
  • 15:30

映画『月』を観ました

 

 

文字通り、言葉を失いました

 

おそらく私にとって

一生忘れられない映画になると思います

「社会問題だ」とか

「皆が考えるべきことだ」とか

言葉にしようとすればするほど

この心が受けた衝撃と乖離してしまう気がして

何と言ったらいいか分からない

せめてこの映画を観た者の責任として

まだ観ていない人に対して

他人事にするような感想の言葉を伝えてはならない

そんなことを思いました

 

粒揃いの出演者

全員素晴らしかったと断言できるほど素晴らしかった

中でも個人的に印象深かったのは

オダギリジョーさんの巧みさ

あの危うい優しさと明るさが

映画を超えて

世界の均衡を保ってくれているように感じました

 

そしてやはり

磯村勇斗さんの凄みといったらもう

言葉になりません

器用で人当たりが良くて仕事熱心な好青年だった

あの死刑囚の

あの気持ち悪さ

何をどうしたらああなるのか

心の混乱は今も続いています

 

何かによって照らされる

見て見ぬふりをしてきた自分の思い

見たくないものを突き付けてくるのは

他人ではなく己自身

 

「向き合う」とか

「自分を見つめる」といった言葉を

安易に使わないようにしようと思わされた映画でした

2023年を振り返って

  • 2023.12.30 Saturday
  • 13:20

SATNADIカウンセリングルームは本日が仕事納めとなります

今年一年、弊社に関わってくださった皆様

誠にありがとうございました

私と新しく出会ってくださった方

時を経て再び巡り合ってくださった方

毎度のことですが

自分の意図を超えたところでつながるご縁に

感謝と畏怖の念を禁じ得ません

 

個人的には

目標達成できたこと、達成できなかったこと

両方ありました

特に時間配分、エネルギー配分の下手さを痛感する一年で

もったいない時間の使い方をしたな…と思うことも多々ありました

怠惰、不安、慢心、自己愛、、

このあたりは来年の課題とします

 

収穫としては

自分の一番弱いところをつかまえたこと

居心地が悪くなるのは

これが自分の一番弱いところだからだと認めることができたこと

 

私は自由を求めるわりに

わざわざ自分で自分を不自由にする癖があります

そのことを自覚し認めるのはとても大変なことで

この残酷な宇宙空間を生き延びるしかないのですが

必死にしがみついて生き残ろうと足掻くこと以外にも

何か道があるように感じました

 

私とつながり、たくさんの示唆をくださった皆様に感謝

来年もよろしくお願いします

実はカウンセラーもこんな心の問題を抱えている!

  • 2023.10.18 Wednesday
  • 16:50

伊藤絵美『カウンセラーはこんなセルフケアをやってきた』を読みました

 

 

以前ご紹介した

『セルフケアの道具箱 ストレスと上手につきあう100のワーク』

を実践するに至った

著者自身の実体験に基づくエッセイ

ブログのタイトルは

帯に書かれているキャッチコピーをそのままお借りしました

 

読んでみて

あまりにも赤裸々な自己開示の内容に

とても驚きました

 

タバコやギャンブルへの依存とその克服

エクスポージャーの実践としてのバンジージャンプなど

まさかそんな実体験があったとは!

と驚きの連続だったのですが

特に後半に著されている両親とのストーリーには

思わず涙しました

 

心理職であろうと

どんな立場であろうと

心の問題というのは当然あるのだけれども

対人援助の仕事をしている以上

その問題をコントロールすることを放棄してはならないし

そうかといって

自分の問題を完全に切り離すことなどできないし

完全に切り離しているとしたら

それはそれで不健全だし

難しいところですが

改めて自分の問題について考えてみる勇気をもらったように感じました

 

私は著者の‟自分を助ける”という考え方がとても好きで

それ自体にとても助けられています

あとがきにも

「紆余曲折ありながらも私は私自身をどうにか助けながら生きてきたし、

今もそうやって生きているんだな、という一点に尽きます」

とあるように

ケアを必要としている自分と

それを助ける自分

自分を大切にする、とは

その両者が無理なく対話できるようになることであり

周りに助けを求めるのと同様

自分の中の他者性を程よく機能させることなのだと思いました

 

著者の勇気ある自己開示に

感謝と敬意を表します

パラダイムシフト

  • 2023.08.29 Tuesday
  • 15:45

信田さよ子『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』を読みました

 

 

おそらく多くの人が

本書の中のあらゆる言葉に衝撃を受けるのではないかと思います

 

明治以降の家父長制による「家族観」「親孝行」

「親子愛」の美化

これにより、DVも虐待も存在しなかった

事実はあったけれども

「愛情」とされていた

これを「暴力」と定義することで

初めて‟加害者”と‟被害者”が生まれる

このパラダイムシフトによって

当然のものとされていた価値観が音を立てて崩れ

家族内の権力構造や

加害者の責任を問うという視座が生まれる

 

「家族は無法地帯である」

しつけ、体罰、夫婦喧嘩

こういった言葉によって

暴力をなきものとしてきてしまった事実

 

知らなければよかったと思うかも知れません

知らないまま無法地帯にいることで

暴力防止の責任を問われずに済んでしまっていたり

自分が被害者であるという惨めさを感じずに済んでしまっていたりするかも知れません

 

それでも、私は知るべきだと思います

知るべきなのはDVや虐待の当事者だけではなく

家族を持つすべての人です

 

家族という言葉を使おうとするとき

これはどんなパラダイムだ?

何か大きな存在と共謀関係に陥っていないか?

という視点をもらったように思います

相棒

  • 2023.06.13 Tuesday
  • 16:00

遠藤周作『狐狸庵動物記』を読みました

 

 

著者にとって動物たちはペットではなく

誰にも言えない心の内を打ち明けられる唯一の理解者であり

人生の哀しみに寄り添ってくれる相棒とのこと

 

そして、自分を哀しい眼差しで見つめる犬や九官鳥の眼に

著者がイエスの姿を見ていたことは言うまでもありません

遠藤文学の中核をなす‟哀しいイエス”の存在が

またあらゆる動物の姿を借りて

多くの作品の中に描かれていることを改めて感じました

 

大連で飼っていた犬・クロとの別れには胸を打たれました

自分を信頼してくれた友を裏切ってしまったという罪の意識は

どれほど幼い少年の心に暗い影を落としたことでしょう

その原体験を著者は

イエスを見棄てたペトロの姿とまた重ね合わせており

裏切り者としての悲哀を生涯背負い続けたようです

著者の動物たちへの愛の背景にこの悲しい思い出があり

クロの哀しい眼差しがあります

 

人は生活上の理由を選ぼうとするとき

あるいは、自分の心のままに人生を選ぶとき

最も大事な存在を裏切り、傷つけ、棄てることになるのだと

この世の過酷さを感じました

 

動物でも植物でも人でも

命を慈しむという心がなければ

愛する、いたわる、守る、

そのすべてが成立しません

自然環境のことを考えるとき

そして、クライエントに対峙するとき

その大事な心を忘れていないかと問われているようでした

 

 

動物が好きな方

動物を深く愛する人がいまいち理解できないという方

ぜひお読みください

カウンセリングの位置づけ

  • 2023.05.10 Wednesday
  • 13:43

「カウンセリングをもっと身近に」

というコンセプトを謳っている相談機関が多くあります

当カウンセリングルームも以前はそのように謳っていました

 

しかし、最近は考えが変わってきました

もちろん、行き詰まりを感じたときに

カウンセリングという選択肢を持てる人が増えるといいなという思いはあるのですが

「もっと身近に」という謳い文句というのは

「カウンセリングは良いものである」

「どこに行っても解決しなかったものも、カウンセリングに行けば解決する」

という過度な理想化に基づくもので

それを安易にアピールするのは不誠実ではないかと思うようになりました

カウンセリングが役に立つ人はほんの一握りだという限界を常に頭に入れておかないと

こちらの万能感でクライエントを危険にさらすことになりかねません

 

「日本人はどうしてもカウンセリングに対するハードルが高くて〜〜」

という言説もよく聞かれます

これもその通りではあるのですが

それ自体が問題だとはあまり思いません

人間は本来、孤独な存在であって

結局、自分の苦悩は自分で乗り越えなければなりません

それは別に悲観することでも何でもないと思いますが

過度に孤独を恐れ

自分の外側に正解を求めてネット情報を漁り

SNSで幸せアピール、不幸アピール

他人の投稿を見ては妬んだり焦ったり優越感に浸ったり

たとえ部屋に一人でいても

「ひとり」になれない人があまりにも多いこと

カウンセリングは孤独を解消するものではなく

孤独を手助けするものだと私は思います

 

日常生活を送るとき

自分には名前があって、属性があって、社会的役割があって

だから一般的な振る舞いをしてこなすことができます

ところが、ひとたび匿名のSNSとなると

平気で人を傷つける言葉を投げまくる

自分の中にある攻撃性や原始的な願望が姿を現すわけです

(誹謗中傷は断じて許されません)

誰しもそういった凄まじいものを持っていますが

通常の生活を送るためにはその存在が「ない」ことになっていないとなりません

本当の自己を守るために偽りの自己が使われているのが健康な状態ですが(藤山,2010)

前者が後者によって搾取されてしまうことで

「心が生きていない」病理となる

本当の自己と偽りの自己を有機的につなげる作業が滞ると

自分の心はどんどん置き去りにされてしまいます

再び「生き生きとした心」を取り戻そうとするときに必要なのが

「ひとり」になれる環境

そして外在性としての他者、すなわち治療者です

 

孤独を恐れていた人が安心して孤独になれるようになるとき

不安や恐怖や憎しみから自由になる自分に出逢えるのではないかと思います

 

 

【文献】

藤山直樹(2010) 集中講義・精神分析(下)―フロイト以後― 岩崎学術出版社

生死の選択

  • 2023.01.26 Thursday
  • 17:05

映画『PLAN 75』を観ました

 

 

年齢によって命の線引きをするという究極のタブー

自ら死を選択できる権利を保障する制度

もちろんフィクションです

しかし、荒唐無稽さは全くなく

冒頭から強烈なリアリティでもって

死、そして生への問いを迫ってくる衝撃

ものすごく恐ろしかったというのが率直な感想です

 

自分だったらどうするか

いろんな考え方があって良いと思いますが

自分の大事な人が死を選択したらどうか

存在を疎まれる高齢者の立場になってみたらどうか

一方で、そこまでの余裕を持てないのは自分だけの責任か

 

例えば自分がこの制度を利用して

日にちが決まっている死への準備をするところを想像するだけでも

たまらなく恐ろしいのですが

笑顔で死のサービスを提供する国家のおぞましさ

それは私たちのすぐ身近にないか

そう思わずにはいられませんでした

選択の自由を謳いながら

理不尽さを受け入れるよう巧妙に誘導する

死ぬことまで他者や国家に誘導されてしまう世の中になったら

 

私たちは日々、死を否認しながら生きています

そうでないと生きていけない

けれども、それでも死は必ずやって来る

そうした揺るぎない現実に向き合うためには

このような映画の存在が必要だと思いました

2022年を振り返って

  • 2022.12.30 Friday
  • 18:53

2022年が間もなく終わります

今年一年、弊社に関わってくださった皆様

誠にありがとうございました

 

「調子に波があります」とおっしゃるクライエントさんがよくいますが

私自身も「波」というものを強く実感した一年でした

低迷しているときはどうしても苦しいもので

どうにか抜け出そうとあがいたり

どんどん視野が狭くなって

この苦しみが永遠に続くのではないかと絶望的になったりしてしまいます

そうしたときに誰かとつながり

健全さをおすそ分けしてもらうことがいかに大切か

頭ではなく心で理解することが多々ありました

私を助けてくださった方々に感謝するのはもちろんのこと

幾度か訪れた心理的危機を乗り越えることができた自分のタフネスは

誇ってもいいところかなと思います

 

また、昨年までは依頼された仕事は基本的にお受けしてきましたが

今年はお断りすることもありました

(個人のカウンセリングではなく団体向けセミナーの話です)

開業する前は頼まれた仕事を断るなんて経験がなかったので

心苦しさはありましたが

経営者として必要な判断をしたという自負があります

私が開業、起業をした目的の一つに

心理臨床の価値を世の中に伝えていく、というものがあります

現状この価値が十分に伝わっておらず

安く買い叩かれ

心理職の待遇が改善されないままという現実があります

ボランティア自体を否定はしませんが

ボランティア精神に依存したビジネスはあり得ないと思っています

私が義理やその場の感情で安価な仕事を引き受けることは

結果的に、自分のやっている仕事の価値を落とし

全国の同業者に迷惑をかけることになりますし

もちろん自分の首を絞めることにもなります

常に正しい判断ができるとは思っていませんが

心理士であると同時に経営者でもあるという意識を

引き続き忘れないようにしたいと思います

 

昨年に引き続き、たくさんのご縁をいただきました

ご縁というのは、自分の意図しないところで

つながるときはつながるものなんだなと改めて思いました

それでもやはり、つながることをただ受身的に待つのではなく

「つなげる」努力も続けていきたいなと思います

 

私とつながってくださった皆様に感謝

来年もよろしくお願いします

母なるもの

  • 2022.12.05 Monday
  • 16:22

映画『わたしのお母さん』を観ました

 

 

主演の井上真央さんのお芝居に、感激しました

 

井上真央さんといえば

私の中で強く印象に残っているのが

2017年のドラマ『明日の約束』

こちらも母と娘の葛藤という似たようなテーマで

母の愛に苦しむ娘の姿を繊細に演じていました

 

極めて静かな映画で

人によっては退屈と感じるのかも知れませんが

母を見つめる娘の眼差し

「母」を想うすべての人の心の奥で震えているものを

眼前に浮かび上がらせてくれるような

本当に素晴らしいお芝居でした

 

『明日の約束』では

主人公は最終的に母から離れ

自分のために生きる決意をして飛び立っていくのですが

『わたしのお母さん』では

すでに母からは離れており

自分の生活を確立させています

ひょんなことから再び母と同居することになり

置き去りにしていたわだかまりに接近せざるを得なくなります

 

娘は母のことを厭う自分に罪悪感を持っています

母の前で泣いたり、

自分の気持ちをぶつけたりすることができません

母もどこかで

娘が自分に歯向かってくることを期待しているところもありそうですが

両者は悲しくすれ違います

 

私たちは集合的無意識の中に

太母(グレートマザー)の像、

母なるもののイメージを持っています

優しく自分を包み込み、保護してくれる母

それと同時に

自分を呑み込み、縛り、傷つける恐ろしい母

両方のイメージを持っていて

この二面性に苦しみます

特に日本人は太母への同一化を常に強制されており(河合,1967)

それに抗おうが

物理的に離れようが

主人公・夕子が向き合わなければならないものがある

 

 

カウンセリングにやって来る人たちには

この母娘関係に苦しんでいる人が多くいます

母なるものに向ける

悲しみも怒りも罪悪感も

すべて自分を生きるための大事なものだと

優しく肯定してもらえたような気がします

 

 

【文献】

河合隼雄(1967) ユング心理学入門 培風館

個人開業という小舟で

  • 2022.11.07 Monday
  • 15:44

自由と自己責任の世の中

仕事にせよ結婚にせよ

「大船」が個人の立場を守ってくれていた時代は終わり

社会は行き過ぎた「小舟」化が進んでいると

東畑(2022)は述べています

容赦のない暗闇と荒波の中を

脆く壊れやすい小舟で

転覆しないように気を付けながら

自分で進路を決めていかなければなりません

 

私自身、個人開業という小舟を選びました

その小舟を選んでやって来るクライエントたちもまた

常に危険にさらされている小舟です

それは別に大きな組織の一員であるとかないとかという

表面的な属性は関係なく

自分の孤独をよく分かっていて

この厳しい世の中を

波に飲まれず生き抜いていこうという

小舟としての自分の力を取り戻そうとしている人たちです

 

なかなか受け入れがたい現実ですが

この世は複雑で過酷です

耐えがたい不運に見舞われることもあるでしょう

大切なはずの人を傷つけてしまう自己矛盾に苦しむこともあるでしょう

自分「だけ」を責めたり

誰か「だけ」を悪者にしたりせず

自分の中にある複数の思いに向き合おうとするとき

人は

「安心してひとりになりたい」

と思うのではないか

ここに個人開業オフィスこそが提供できる

静かでプライベートな空間の醍醐味があります

 

セラピストにとっても

個人オフィスでは逆転移に気がつきやすく(藤山,2003)

双方の感情の機微がダイレクトに交換されます

それをクライエントのこころの成長や変容につなげることが

すなわち心理療法ですので

個人開業という小舟の意義深さには自負があります

 

強力な大船ではなく

孤独な航海で

かろうじてつながる存在

そんな風に自分を位置づけようと思います

 

 

【文献】

東畑開人(2022) なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない 新潮社

藤山直樹(2003) 精神分析という営み 岩崎学術出版社